■ 柴田勝頼 2017.4.9オカダ戦後の振り返りと近況 2022.03.01時点■
【2017年】
4月9日の両国国技館大会でのオカダ・カズチカ戦直後に倒れ、救急搬送された柴田勝頼。早急かつ適切な処置があり血腫の量も少なかったとされたものの、「硬膜下血腫」との診断で5時間超の緊急手術を受ける。この際に外した一部の頭蓋骨は、5月2日の再手術において戻された。抜糸を経て5月下旬に退院、眼の状態が良くないため強い電流を流して脳と眼に刺激を与える特殊な治療を開始した。
長期欠場が濃厚となった柴田は、オカダにメッセージ。「ケガのことは気にするな。常にそういうものだと思って試合をしているから。何も後悔していない。ちゃんと生きているから大丈夫。お前も頑張れ」。4月末に菅野洋介トレーナーを通じて連絡があったことを、のちにオカダがメディアからの取材の中で明かしている。
6月の日記では、自身の症状名が「同名半盲」であることを明かす。両眼ともに右半分が見えていない。聞いた方が絶望的になるということで、この症状をファンに伝えることを柴田は避けていた。あえて明かしたのは、治ることが難しいと医者に言われているにもかかわらず若干の視界の広がりを得たからだという。7月には頭や顔の腫れもひいてきたことから「人と会って話をする、飯を食う」機会も。8月に入ると、電気治療のここまでの取り組みから「リハビリと治療の段階がもう一段階上がった」と報告した。
G1クライマックス最終日が近づいた8月10日、柴田は会場でのファンへの挨拶を会社に申し入れる。8・13両国大会で大シバタコールに男泣きしつ、「生きてます! 以上!」と絶叫マイク。登場自体で『百聞は一見にしかず』とばかりに奇跡的な回復ぶりをファンに示唆した。バックステージではカメラのフラッシュにはまぶしそうにしたものの、「また、シッカリしたかたちで会えるようにがんばります」とリハビリ継続を約束。電気治療に加えて、両国登場明けからは高気圧酸素治療(医療用の酸素カプセル)をスタートする。
両国登場からさらに4か月後の12月11日・福岡大会、柴田はサイン会に登場した。長蛇の列をなしたファンに対応し、「何よりも自分自身がたくさんのエネルギーを頂きました」と振り返る。ストレスや副作用の関係で約2か月半休んでいた治療の再開の方向を日記に記した。1年を総括した際に、オカダ戦後の手術での生存率について「術後、実際のところ助かる確率が18%以下だったと聞かされました」と告白しつつ、根気と長い時間を必要とするリハビリ、トレーニングの継続を宣言している。
【2018年】
年が明けて、2018年1月3日の大プロレス祭りサイン会に柴田が登場する。「これは動けるようになったら必ずやろうと思っていた目標の一つ」という意図で、サイン会スペースにはTAKAYAMANIAの募金箱(高山善廣のリハビリ支援)が設置された。1月4日の東京ドーム大会にも足を運んだ柴田は、「新日本プロレスらしさの足りない大会にも感じた。足りないと感じたモノは、自分が個人的に追求していけばいいかなと解釈しております」と“らしい”コメント。
「最近、調子の良い時は歯を食いしばらずに懸垂が7回ほどできるようになって参りました。本当はもっと出来るのですが、力を入れ過ぎたり歯を食いしばると頭に血がのぼって良くないみたいなので」とトレーニング上での変化も明かした柴田。新しい年にあたり「自分自身、まだまだリングにどうこうという段階では無いのですが、半年前より随分と(懸垂やサイン会を含めて)いろんな動きができるようになっております。今年は動ける範囲でいろいろと動いていきたいです」とする。
1月18日には都内『2017年度 東スポプロレス大賞』授賞式に顔をみせた柴田(柴田は敢闘賞)。オカダ戦以降で公の場に出たのは4度目。頭部の怪我のこともあり、この授賞式を前に足を運んだ美容室は10か月ぶりとなった。3月に入ると、ロサンゼルス道場のヘッドコーチに柴田が就任したことが新日本から告知された。日本のプロレスの歴史を練習生に伝えながら、現役選手のままで自身のリハビリも進めていくことを宣言している。
3月の同時期の日記では、眼科医が驚くほどの視界の回復(1/2程度だったものが、調子によっては3/4程度まで)、ロサンゼルス道場で過去最高のコンディションを目指す意思など怪我からの1年の経過・心境を長文で綴ってみせた。詳細を書き過ぎたと思い直したのか、後日には大幅削除する一幕も。
欠場入りから1年経った4月4日発売分『週刊プロレス』誌でのインタビュー。柴田自身の“復帰”はあるのか? 柴田は自身のケガを「皆さんが思っている以上に時間がかかるもの」「自分もよくわかんねえよ」とした半面、「1年でここまでの回復って医者もビックリするレベル」なんだという。このくだりで「1年経つ前にアクションを起こしたかったっていう部分では、(志願してヘッドコーチに就任したことで)目標というか、一つケガには打ち勝ったかなと思っております。これも自分の中のプロレスなんですよ」との言葉が出た。
6・21後楽園ホール大会では、スーパー・ストロング・マシン引退セレモニーに魔界倶楽部の一員として花束を持ってリングイン。8月に入ると、柴田は日記で道場ハウス(道場生寮)開設を報告した。寮には4名の受け入れが決まっており、日々の合同練習は他の若者含む10人前後の規模なんだという。ロサンゼルス道場コーチ活動が本格化する一方で、キャンプの合間を縫いつつ何度か一時帰国。柴田は会場でのサイン会、検査やファイプロ音声収録をこなした。サイン会では4・14後楽園ホール大会、6・9大阪城ホール大会、8・2福岡大会、8・4大阪大会、8・12日本武道館大会、10・26後楽園大会に登場し、ファンとのコミュニケーションをとっている。
また、8・12武道館大会では、G1クライマックス優勝決定戦にて棚橋弘至のセコンドとして登場。制覇した棚橋を肩車で祝福するなどの盟友との熱きシーンはファンを歓喜させた。試合前に柴田から棚橋にかけた言葉は、棚橋によると「新日本プロレスを見せろ」だったが、15日更新分日記では「アイツらに新日本プロレスを見せてやろう!」だったと柴田は振り返る。肩車までできたことで「1年前と比べて随分とリングに近づいてきたという感触があります」と綴った。
9月〜11月には公式YouTubeにて『ザ・レスラー 柴田勝頼 LA道場密着ドキュメンタリー「CALIFORNIA DREAMIN’」』が5回分に渡って公開された。「自分にしかできないことですよ、とにかくやっていきたいことは。他の選手に務まることだったら俺はここはすぐ降りてもいい。俺にしかできないことをやる」などとヘッドコーチへの意思が改めて語られた。デカくなった上半身の披露もありつつ、ヘッドギアをつけてスパーリングに参加する風景も挿入されていた。
「(新日本の海外進出を見て)いいんじゃないですか。やっぱり、スポットライトは魅力的で『あの中に行きたい』という気持ちにはなりますね。この前のカウパレス(大会)も、遠くから見ていて、あの中心がいいなぁと」とも。ドキュメンタリーは第5回にて、現地時間・9月30日(日)アメリカ・WALTER PYRAMID大会においてのLA道場生デビューマッチ「アレックス・コグリンvs.クラーク・コナーズ」へと辿り着いている。また、現地時間・11月10日(土)カルフォルニア州アナハイム大会ではLA道場“第3の男”カール・フレドリックスがデビューを果たした。
【2019年】
2019年も、1月3日の大プロレス祭り、3月23日の長岡大会、6月5日の両国国技館大会と精力的にサイン会に繰り出す。大プロレス祭りではモノマネ芸人(棚橋弘至、中邑真輔に扮する)と並んで“新闘魂三銃士”ショットを披露する場面も。
コグリン、コナーズ、フレドリックスも参加となった現地時間・1月30日ロサンゼルス大会、2月1日シャーロット大会、2月2日ナッシュビル大会の新日本プロレス3大会では、米政府機関閉鎖の影響で多くの日本人選手のビザが取得できず不参加になる異常事態が発生した。挨拶が予定されていた柴田は観客に謝罪しつつ「俺が新日本プロレスだ。俺たちは新日本プロレスだ!! そしてLA道場こそ新日本プロレスだ!!」と宣言する。のちの柴田の日記では、会社の姿勢として「“ごめんなさい”の一言がないのが一番良くない」という思いがあったことを告白した。
3月24日、長岡大会での『NEW JAPAN CUP 2019』優勝決定戦にオカダが進出した。中継の解説を務めた柴田は「私がここ(長岡)に来るのが2年ぶり。(NJCを制覇して)挑戦を表明した(相手だった)のがオカダだった。人生って面白い」と吐露する。勝者オカダが柴田との“再会”後のバックステージで涙すると、柴田は「オレは生きてるから安心しろと。大丈夫だ、泣くな。いろんなものを背負ったうえでマディソンで試合(ジェイ・ホワイトとのIWGPヘビー級戦)をしていただきたい」と解説席からエールを送った。
柴田につないでもらうことで新日本参戦が実現したKENTA、LA道場で約1か月に渡る特訓を経た後藤洋央紀、アンダーカードに名を連ねたLA道場勢(コナーズ&フレドリックス)。この顔ぶれを帯同するかのごとく、LA道場ヘッドコーチ・柴田は真夏の祭典G1クライマックスの全戦を視察した。柴田の試合前サイン会は、7・14大田区、7・15北海きたえーる、7・18後楽園、7・24広島、7・27名古屋、8・1福岡、8・3大阪、8・10武道館の8大会に渡った。
7・14大田区大会での棚橋弘至vs.KENTA戦では、柴田が中継での解説を務める。戦前の棚橋による「迷子」という開幕戦KENTA評に「俺が連れてきたのは(WWE時代の)ヒデオではない。KENTAだ」と同意したが、棚橋を料理してみせたKENTAの闘いぶりを「今日は本当にKENTAでしたね。迷子が意外と道を見つけるのが早かった」と好評価した。
7月27日には販売サイトを通じてデビュー20周年DVDの10月発売が明らかとなり、サイン会でのファンとの会話では「今まさにつくってるところです! ボクのDVDですよッ!」との言葉も飛び出す。8月6日には、KENTAと一緒にリハビリ中の高山善廣を訪問した。
8月12日、日本武道館大会にてKENTAがタッグパートナーを裏切り、バレットクラブ入りを表明した。これに怒った柴田がリングイン、番外戦ではあったが2年4か月ぶりにプロレス技を披露する。Tシャツを脱ぎ捨てるや、ビルドアップされた肉体と美しいフォームで串刺し式低空ドロップキックを敢行! 柴田の雄姿に大シバタコールが爆発したが、「どこ行っても、どこのリングでも、ちゃんとKENTAでいろ。迷子が道を見つけられて、よかったじゃん」とソウルメイトに“別れ”を告げた。
9月4日から開幕するシリーズで約2年ぶりに『ヤングライオン杯』開催となり、柴田が指導するLA道場からもクラーク・コナーズ、カール・フレドリックス、アレックス・コグリンの3名が参戦した。「実際は日米道場対抗戦ですよ。自分の教え子たちを日本に送り込むのが、1つの目標というか第一段階でもあった」と意気込んでシリーズに突入した結果、9・22神戸大会ではフレドリックスが優勝を果たす。柴田は“LA道場での1年半”に間違いがなかったことを実感するとともに、野毛道場・成田蓮からの直訴「僕をLA DOJOに連れて行ってください」を受け入れた。
10月10日に柴田のデビュー20周年DVDが発売となる。これまで語り切られてはなかった自身の考えを、柴田はインタビュー映像で発信した。新日本のスピリットが柴田にあるという見られ方をすることについて、柴田は旗揚げメンバーである柴田勝久を父に持つ血筋を「生まれたときから新日本」ととらえる。「だからそういう見え方になってるんじゃないですか。海外からでも一般のファンの人からも。自分で言わなくても、ストロングスタイルに見えたり、新日本プロレスに見えたり」と客観視した。かつての「辞めるのが新日本プロレスだった」との発言にも言及し、「お前らやらないんなら俺一人でもやる。一人でもやる新日本プロレスっていうものが実はあった」と“続き”を語ってみせた。
自らの姿勢を「怪我で休んでますけど、プロレスを常にしているという意識で生きています。逆に言えばそれがないと、何のために生きているのかわかんなくなっちゃうという。道がわかんない」とする。LA道場のモチベーションについては「自分のところで(伝統的なプロレスを)終わりにしたくないなって意識はありました。プロレスがどんどん進化するのはいいんですよ。だけど、忘れちゃいけないものは必ずありますよ。スピリットとか、姿勢だったり、そういうものを国カンケーなく教えていければ」と語った。怪我については「手も足も動ける、脳も使える。首から下は今の選手よりもコンディションいい」と触れるにとどまったが、「かといって何を諦めたわけでもないし、俺のプロレスラーとしての人生は続いていくと思いますし。途中です。途中でリングを離れているだけです」とした。
10月21日、新日本プロレス事務所にて米国法人『New Japan Pro-Wrestling of America Inc.』の設立に関する会見が行われた。冒頭には映像にて「柴田です。新日本プロレスはついにアメリカ法人を設立します! 我々LA道場選手一同ますます頑張ってまいりますので、今後もご期待ください。以上!」との報告が行われた。
11・3大阪大会では盟友の後藤洋央紀がインターコンチ王座に挑戦する。王者であるジェイ・ホワイト側のセコンド外道が乱入した際に、放送席にいた柴田が外道を排除する。しかし、ジェイ側として追加乱入したKENTAが後藤・柴田に連続フロントキック。なおも柴田はリングサイドでKENTAの鉄柵攻撃、蹴りを食らった。元ソウルメイトであるKENTAとの遺恨を深めた格好となっている。
12月、『KAMINOGE』井上崇宏編集長が柴田勝頼との2ショットをInstagramにアップした。新日本プロレス所属となって以来、疎遠になったかと思われていた2人の接近を予感させた。
【2020年】
1月5日、大田区体育館大会でのサイン会に柴田が登場した。中断されているドキュメンタリー動画、開催されなかった20周年イベントについてファンに聞かれると、要望を出してほしいと回答した。1月5日には獣神サンダー・ライガー、2月22日には中西学。先輩レスラーたちの“出発”に柴田も立ち会った。
2月25日、船木誠勝がYouTubeを更新。かつてプロレスラーから総合格闘技に転向したことがある柴田だが、その際のエピソードを公開した。「総合(総合格闘技)やりたいです!! 今までトレーニングしてやってきた技術を試してみたいです」という柴田に対し、船木は「(生活もあるので)プロレスもやりながら試合をするのはどうか?」提案したという。しかし柴田は「それはプロレスに失礼になるので、総合だけに専念します。総合1本で」と返答。片手間にやることはではないプロレスに人一倍のプライドを持っていた柴田の2006年の姿勢が明かされた。
3月に棚橋が柴田とのトーク風景写真を披露した。後の販売情報で2020年5月27日発売『棚橋弘至20周年DVD』が明らかに。「2014年〜2019年棚橋弘至ヒストリー」がゲスト柴田との対談で行われていることがわかった。
同じく3月、CSテレ朝チャンネル『ワールドプロレスリング オレのメモリアルバウト』にて柴田勝頼編が放送となった。柴田のセレクトは「1995年10月9日 東京ドーム 永田裕志、石沢常光 vs. 金原弘光、桜庭和志」「2003年8月15日 両国国技館 G1 CLIMAX 13 Bブロック公式戦 高山善廣 vs. 柴田勝頼」の2試合。ドームの試合については「プロレスの試合で何がいい試合ですか、何が思い浮かびますかって言われると、これが真っ先に思い浮かんじゃいますね。僕の青春時代です」と論評し、華やかな技よりも“闘い”を志向する柴田の考えにスポットが当たった。
4月5日、新型コロナ禍中で発刊された『KAMINOGE』vol.100において2017年のオカダ戦以来の“黒パン”撮り下ろしと、ビルドアップされた肉体を披露する。KAMINOGE100号に上野毛道場の柴田勝頼が降臨した。30ページに渡るインタビューで、オカダ戦以降の詳細を柴田自身の言葉で語った。
内容については、KAMINOGE編集部からのTweetで「自分はオカダ戦で終わってもいいと思っていたんです。『あれが最後でいいや。とっとと辞めよう』って。だけど自分がやれること、やれる試合ってまだ絶対にある。自分は生きがいがないと死んじゃうんですよ、残念なことに」との要点が明かされた。生きがいとしての“試合復帰”について初めて言及している。
新型コロナ感染拡大を受けての政府の緊急事態宣言から一夜明けの4月8日。柴田は日記で、自らの外出自粛に触れつつ「現実には生活が・・・と、どうこう言う前に命がなくなると生活は出来ません」と冷静な行動を呼びかけ。柴田ならではの重みある「命は一度消えると戻らない」との言葉で自身と周りを守るよう訴えた。
関東地区では5月9日深夜放映となったテレビ朝日『ワールドプロレスリング』にて、「2017年4月9日の柴田勝頼」が特集された。新型コロナウイルス感染拡大による興行休止でリアルタイム試合が行われない中、3年前のオカダ・カズチカ戦にスポットが当たる。
改めて柴田は、この試合が特別であったことを明かす。「自分の試合で満足とかしたことがないんですよね。満足したら終わっちゃうのかなと思ってたんで。ただ、なんか、あの試合は・・・負けたんですけど、やり切ったっていう。その日まで持てる力だったりエネルギーだったり、全部を使い果たした、全力を尽くせた」。“生まれたときから新日本プロレス”と柴田はよく自己表現するが、こうも表現してみせる。「勝敗どうのじゃなく、新日本プロレス、プロレスラーとして、こういう試合をしたかったっていうのをやってたし、やれた試合だなぁと俺は思いますね」。
コロナ状況下で外出も制限される中で、柴田と同様にこの時期を日本で過ごすことになったロス道場生ゲイブリエル・キッドへのトレーニングは精力的に行っているようだ。柴田の“リハビリ”も同時進行となるわけだが、ライガーが柴田のビルドアップされた肉体に驚くという出来事も。
2月26日の沖縄大会以来、新日本プロレスが無観客ながら6月15日から大会を再開する。同時にアメリカでも開催された『Lion’s Break Collision』の日本語版解説(音入れ)を、柴田は棚橋弘至とともに行った。
柴田のグッズは会場販売と通販に限られていたが、8月になって水道橋・闘魂SHOPでの取り扱いがスタートした。
2020年G1最終戦。試合前のリング上で上村優也、ゲイブリエル・キッドを指導。
コロナ状況による渡航も緩和され、柴田は日本を後にする。11月10日には米国からクラーク・コナーズ、アレックス・コグリンとともにオンラインサイン会を配信した。
【2021年】
2021年を迎え、1月6日のプロレス&格闘技DXの毎週水曜コラム『REAL TALK』更新で抱負を語った。「今年は去年の一年間で達成出来なかった目標があるので、そこに費やす一年となりそうです。決して焦らずに」。改めて2022年での“試合復帰”という目標を示唆した。
1月にNEVER王座を戴冠しながらも“ベルトを腰に巻かない”姿勢でいた棚橋弘至が、2月に東スポ上で柴田からの助言があったことを明かした。「言われましたよ。『棚橋君には(腰に)巻いてほしくない。棚橋君が狙うべきはIWGP(ヘビー級王座)だから』って。柴田さんはそういう理由でアドバイスしてくれたんですけど」。なお、柴田もNEVER王者時代は一度もベルトを腰に巻いていない。
4月16日、ドラディションでの長井満也30周年大会におけるお祝いメッセージ映像で魔界倶楽部時代の盟友・柴田からのものも流れた。「長井さん、デビュー30周年おめでとうございます。長井さんとは魔界倶楽部の時に一緒に同じチームで活動してまして、とても懐かしく思います。自分のK-1ルールの試合の時には、ずっとミットを持ってキックの練習に付き合ってくれたり、本当に感謝しています。自分がその後、新日本辞める時に、相談できずに辞めてしまい、それ以降まだ会ってないんで。そのままずっと自分の中に申し訳ない気持ちがあるんで、この場を借りてお詫び申し上げます。本当にすいませんでした。自分は今、怪我をしてしまいまして、怪我を治しながら、LAのほうで若い選手にプロレスを教えたりして過ごしています。長井さん、30周年ということで、末永く、これからもパワフルにプロレスの試合…その他も全てパワフルに元気よく頑張って過ごしてください。ありがとうございました。おめでとうございます。以上」(コメント部分はバトルニュースより)。
4月28日、『REAL TALK』にて「目の裏側をえぐられるような激痛」を伴う群発頭痛に見舞われていたことを告白。同月14日・21日のコラム休載でファンを心配させていたところだった。
5月24日、棚橋弘至が「先日、LAの柴田さんから…ケビン(LA道場の選手)のトレーニングを取り入れてやっています と、スゴい写真が! #肩 #胸 」との言葉とともに柴田のビルドアップされた肉体写真をブログで披露した。
6月の『REAL TALK』内で「朗報です! レスリング男子フリースタイル57キロ級の高橋侑希が東京五輪出場(6月12日の東京五輪代表決定プレーオフに勝利)を決めました!」と、指導を通じて面識のある後輩・高橋選手の五輪出場を喜んだ。
7月24日、愛知県体育館大会でのメイン「棚橋vs.KENTA」中継の解説を務める。凶器使用も辞さないファイトで棚橋をKOしたKENTAを、リングインした柴田がフロントキックで制裁。立て直して勝利した棚橋に、リング下の解説席から柴田は「棚橋くん、もう一度IWGPを獲ろうよ!」と声をかける。これをきっかけに、翌日7・25東京ドーム大会において棚橋は飯伏幸太(当日欠場)の代打としてIWGP世界ヘビー級王座に挑戦した。
8月15日、米ロサンゼルスにおける新日本プロレス『RESURGENCE』大会で上村優也が海外武者修行初戦勝利を果たす。上村は「LA道場で強くなるぞー! 柴田さーん!!」と柴田を呼んでLA道場入りを志願。柴田は「カム、ウィズ、ミー」と呼応し、LA道場Tシャツを渡した。
8月19日、柴田の「ザ・レスラーTシャツ」に新色『ブラック×レッド』が新登場となった。
10月21日、G1クライマックス優勝決定戦の日にサプライズで日本武道館に登場。黒のハーフパンツ姿。5分間のグラップリングルールによるスペシャルエキシビションマッチでザック・セイバーJr.と対戦した。オカダ戦以来4年半ぶりの試合をフルタイム闘った柴田は「次、このリングに立つときはコスチュームで。以上!!」とマイクで締めた。
10月23日、『闘魂ショッピング』ライブ配信に柴田が出演した。新たに発売となったタオルについて「なんで『ターミネーター』(風味のフォント)かというと『I’ll be back』と。ちょうどバッチリじゃないですか。(日本武道館入場のときのタオルは)これですね」と言及。「ちょうどタオルができて、キービジョンができて、ちょうどトーショピに呼ばれて…偶然が偶然で重なった。まぁ、人生そういうものですからね。ハイ」と止まらない流れに身を置く。柴田は「(次は)コスチュームで出たいっすね。そこが自分の中の最大の目標でもあるんで」とリピートした。
『KAMINOGE』vol.120(12月上旬発売号)に柴田のインタビュー(11/1収録)が28ページに渡って掲載された。2021年の始めくらいからザック戦を要望していたこと、経緯として「ドクター、トレーナー、社長、会長と、いろんな人からオッケーが出ないと実現できない」という状況をクリアしたことを明かした。今後の試合については「自分の感覚なんですけど」と前置きしたうえで「残り数試合」「やれて年に数回ずつ」「できる試合とかルールとかも模索しながら」と見解を出した。
12月15日、あらかじめ“来場して発表”が予告されていた両国国技館大会。柴田がスーツ姿でマイクを握った。溢れる涙を押さえつつ「1月ぅ4日ッ。1月4日。試合するぞーッ!! 以上ッ(マイクをボンッ)」とイッテンヨン復帰宣言だ。バックステージでは「一つ言いたいのは、俺は死にに行くんじゃなくて、リングに死にに行くんじゃなくて、生きるためにリングに行く」としつつ、「話はちゃんと詰めて、誰も心配しないようにやっていきたい」と手順に言及する。一方で「俺の状態っていうのは俺しかわからない」と“雑音”を牽制した。
12月27日、東京ドーム大会へ向けての会見に柴田も登場。対戦相手は「X」と伏せられた。「心境ですか? 抱負? 今の心境ですか? (大声で)バカヤロー! 以上です」と一喝しておいてから一転、キャッチレスリングルール(新たに制定)について説明を始める。寝技格闘技としてのグラップリングルールとは差別化し、「ロープに走ったり、プロレスで可能な動きや技を立体的に表現できる」とした。「単純にプロレスラーとしての技量とテクニックのみが必要になってくると思うので、勝負論に特化した試合が単純にできる」とも補足した。
【2022年】
1月4日、東京ドーム。テロップとアナウンスで「サブミッションホールド(関節技、締め技、ストレッチ技など)、投げ技の使用は認める。ピンフォール、リングアウト、反則などのプロレスルールも適用する。なお打撃技(パンチ、チョップ、キックなど)は禁止とする」とキャッチレスリングルールが正式に提示された。柴田の相手はロス道場門下の成田蓮。黒のショートタイツという正調コスチュームで登場した柴田は、ゴング前にマイクを握ると「ルール変更しよう。プロレスだ。成田! やれんのか、オイ!!」。両者ならびにレフェリーが合意しての通常プロレスルールで試合が開始される。グラウンドのみならずキック、エルボーを柴田は繰り出し、串刺し低空ドロップキックからハーフハッチというおなじみのクライマックスも披露。最後はPKから3カウントを奪取した。この試合は、ファンによる大会ベストバウト投票でメイン「鷹木vs.オカダ」に次ぐ2位を獲得した。
試合後に柴田は「ちょっと会社との約束とは違うことを、はみ出したことをしてしまったんで、これはちゃんと自分のペナルティでも何でもしっかり受け止めたいと思います。今日、ここに一つリングに上がるチャンス、どうしても作ってこじ開けたかったんで、キャッチレスリングルールというものを作ったんですけど、結局はやらず」と説明した。「自分の今後っていうのは分かんないですね。ただ一つ言えるのはオレの試合はプロレスだった。柴田はプロレスが出来る。これは世界でも見ている人がちゃんと認識出来たんじゃないかなと思います。日本で出来ないんだったら、オレの残り少ない時間だから、そこはレスラー生命使って今年は試合したいなって思っています」と次を見据えた。
『KAMINOGE』vol.122(2月上旬発売号)に柴田のインタビュー(1/7収録)が掲載された。1・4ドームでのプロレスルールへの変更は「自分、めんどくさいんですよ、たぶん」としつつ、「この1回のチャンスをちゃんと掴まないとプロレスラーとしての先がないな」「本当に見せたいものがあったし、人生をかけてやりたいと思ってのこと」との考えがあったことを補足した。1・4では「日本で出来ないんだったら」とのくだりもあったが、「これが新日本での最後の試合となって、辞めることになってもいい」という思いがあったのだという。なお、会社からはペナルティなしだった。井上崇宏編集長の「今年はもう止まれないですね」との問いに柴田は「止まらないです」と返答している。
モバイルサイト「プロレス&格闘技DX」にはウィークリー日記の連載あり。メール機能を通じてのメッセージから柴田は力をもらっているとのことですので、ファンはぜひ応援メールを!!